精神科のブランチラボから、医学部の一講座へ(2021.10.3)
先端研の部門名を自由に選ぶことが出来ましたので、脳科学研究部門、Division of Brain Sciencesとしました。私自身が、神経もグリアも血管も、必要とあれば末梢神経支配も扱うので、すべてを包括できる名前として脳科学を選びました。
またこの略語がDBSとなっていることにも意味を持たせています。Optogeneticsが出現した直後から、この技術をどうやってneuromodulationへ接続するのかが有識者の間で問われ続けています。DBS(deep
brain stimulation)・VNS(vagal nerve stimulation)は私が着手している・着手しようとしているneuromodulationであり、脳外科・神経内科領域では臨床実装されています。ECT
(electroconvulsive therapy)、rTMS、tDCSなどの非侵襲の介入は狭義のneuromodulationではありませんが、広義のneuromodulationと言えます。さらに関連する言葉としてbrain
machine interface(BMI)があります。私が引退する15年後には、脳実質への侵襲をともなう計測、操作を、神経疾患(脳梗塞、頭部外傷、脊髄損傷)や精神疾患(強迫性障害)に適応している時代になっていると思います。派手なことはNeuralink,
Elon Muskみたいな人に任せて、DBSやECTとはそもそも脳の何を変える技術なのか、という根本的な問いについて科学者として答えを出したいと思います。
脳科学の難しいところは、木も見て森も見る必要がある点です。Single cell RNA-seqが中枢神経系の細胞分類の新しい地平を拓き、それぞれの細胞がどんな役割を持っているのか観察と操作を駆使して全神経科学者が一丸となって明らかにしていく段階です。これが木を見るです。一方で、個々の細胞が集合して脳を作っているわけで、システムとして脳を捉えることも求められます。これが森を見るです。様々なアプローチを取りうるはずです。この新しいラボでは、堅牢な組織学的解析に基づく堅牢なデータを出し、木を見ることを妥協しない。KENGE-tetやFAST
systemを応用し、精緻な遺伝子導入にこだわる。ゲノム編集、AAV作成・洗練については後塵を拝していますが、やる気のある若い人が出れば、これを実現させるだけの資金とスペースは十分にあります。森を見るでは、全脳解析に長けたMRIが武器になるでしょう。このラボには構造MRIの世界的研究者の阿部さんと機能MRIの世界的研究者の高田さんがいます。これは他のラボにない圧倒的な強さであると思います。数理統計、プログラミング、モデリングというこれまでの医学生物学研究者が苦手としてきた分野を、高田さんが底上げしてくれています。医学部内にいくつかのcomputation勉強グループがありますが、その多様性を保ったまま、高田勉強会出身者が、それぞれの学術領域で存在感を発揮していくことを期待しています。理工学部満倉研究室との連携は、木を見るときにも、森を見るときにも必要になってくるでしょう。
先端研のこのラボに期待されることの一つが、脳関連教室をつなぐ役割です。私はそのキーワードがneuromodulationと思います。実際のDBSは、脳外科、神経内科、精神科の3科が連携して準備、手術、経過観察を行います。刺激したらこうなる、こんな副作用が出るという臨床知見は蓄積されてきていますが、何故そうなるのかという部分はブラックボックスのままです。ブラックボックスであることは科学としてはチャンスです。臨床データが既にあり、そのメカニズムを解明しようとすることは、ヒト脳とは何かという大きな問いを解くことでもあります。2019年から後期革新脳に参加し、L-DOPA
induced dyskinesiaという神経内科医にとって常識となっている副作用について深く勉強しました。実際にモデルマウスを作成し、自分達の大事にする妥協しない組織学を実践し、新しい知見を得ました(unpublished)ました。更に抗精神病薬の副作用である遅発性dyskinesiaを学び、統合失調症の発症メカニズムを考えるヒントを革新脳精神科グループに与えました。私自身がこれだけ学べるのですから、私のラボを訪れる研究者はもっと学べることでしょう。皆さんもラボを訪れる研究者から多くのものを学んで欲しいと思います。
世界の神経科学研究が、人を対象とした研究へも広がっていることを感じます。これまではヒト脳画像研究止まりでしたが、死後脳を使った研究の展開とヒトiPSC研究の展開が期待されます。私は日本で整備されようとしている日本人のブレインバンク事業に貢献したいと思っています。事業の整備で10年を要し、自分自身がその恩恵に預からなくてもやむなしです。次の世代の研究者のために誰かがやらなければならない事業だと考えます。そしてこういった事業で大事なのは、そのリソースが使えることを示すことです。この研究室から、インパクトのある死後脳研究を任期内に一つ出したいと考えています。論文化に至らないにせよ、こういったことができる(たとえばsingle
nucleus ATAC-seq)、ああいったことができる(たとえばin situ sequence)というような例を、私のラボから出すだけでも意味があると思います。使えるんだか使えないんだかわからない凍結脳を渡されても困りますからね。こんなことができた隣の領域の凍結脳です、と渡される方がやる気が出るでしょう。
私達が行う研究が高度化・先端化したとしても変わらないことがあります。それは基盤技術です。基盤技術は何年経っても変わりません。毎年、何も知らない学生が入ってきます。我々が求める研究レベルは高くなり、その差が広がる一方です。だからこそ基盤技術が大事です。この先端研のラボにお世話になれば、その後どこに行ったとしても一人でやれると言われるように基盤技術を身につけてもらいたい。私の言う基盤技術は、遺伝子改変マウスの維持と組織学です。この2つができれば最低のことはやれます。これに生体信号の取得(脳波や細胞内カルシウム信号)とオペラント行動実験が組み合わさると相当のことができるようになります。なぜなら解析にはプログラミングと数理統計の知識が必要となり、いつのまにかそれを取得できるようになるからです。
基盤技術を教えるにはどうすればよいか。今のラボでは、鈴木さんと高田さんに多くを依存しています。教わった学生は、すぐに下の学生に教えるようになります。下の人に教えることで、更に知識を高めて欲しい。時に伝言ゲームで間違えを教えていることもあるので、いつも始祖に確認してもらいたい。基盤技術の継承がラボの実力の維持に大事だと思っているので、廣田、F、細谷さんの3名の技術職員がその技術継承を助けます。それだけでは不十分なので、基盤技術を毎年毎年学生にガイダンスし、巣立つまでを教育することができるメンバーに合流してもらいます。2023年4月から特任助教として合流してもらいます。私と岡崎時代に苦楽を共にした研究者で、プレーヤーとしてではなく、マネージャーとして裏方としてやってもらいます。
ラボのモットーは先端研に移動しても変わりません。
Beauty is truth.
美しさは真実です。美しさの中に真実があります。謙二研では、各抗体、各cRNAプローブは吟味しており、美しい信号が出るものしか使っていません。君たちがボンヤリとした信号しか出せなければ、それは技術が足りないのです。どこかで間違っているのです。技術を高め、美しい画像を撮ってください。その美しさに真実を見いだすでしょう。Keyenceで写真を撮ることは必須ではなく、もしかすると単に研究をしたことの証拠集めの自己満足かも知れません。そうではなく、ファインダー越しに美しい絵を見て、様々な倍率で、ああでもない、こうでもないと考えを膨らませて、真実に近づいていって下さい。
研究を楽しむ
研究の何が楽しいのか。これは人それぞれです。かつての天才が為し得たことを追試できた瞬間も楽しいでしょう。PCRだってその一つです。その天才を越えたと自覚できたときも楽しいでしょう。それは20年経過してからの後出しジャンケンであったとしてもです。仮説通りに進んでも楽しいし、仮説通りに進まなくても楽しい。大事にして欲しいのは、手を動かしてデータを取っている人が一番最初に真実に触れることができるという事実です。研究を楽しんだ対価として、論文のアクセプトまで汗をかいて下さい。
共同研究者から学ぶ
私達の基盤技術は高いレベルにあります。同じように、相手の研究者の基盤技術も高いレベルにあります。お互いを知ることで、技術を交換し、知識を交換し、新しいアイデアを生み出して下さい。私は、損得で共同研究をしません。それはこのラボに訪ねてくる共同研究者を見ればわかるでしょう。共同研究はお互いを高めるためにするものです。どちらかが高いとか低いとか言っているようでは、損得で結ばれた共同研究しかやれません。また学生からも学ぶことができます。教えることによって、むしろ学ぶことができるのです。これは慶應語である半学半教とも言い換えられます。
最後に。ラボはどこに向かうのか。精神疾患が研究の中心対象であることは変わりません。発症のメカニズムも好きですが、それよりも、病気が治るとはどういうことか、病気がありながらも社会に適応できるとはとういうことか、という疾患の回復やレジリエンスに興味があります。目の前の解けそうな疑問から順に片っ端から解いていきます。疑問をひとつ解く度に、担当した学生・若手研究者が成長するのを見るのは楽しいことです。
いつか機会があれば、教授選考会で使ったプレゼン資料を皆さんに公開します。もっともっと伝えたいことがありますが、また折りをみて伝えます。皆さんは、たくさん手を動かして、たくさん論文を読んで、自分がこれを成し遂げたといえる何かを残して下さい。早熟であることを求めません。ここで経験したことが論文にならなくても、皆さんの将来で、ここでの経験が役立てば本望です。
研究に興味のある学生、若手医師の皆様へ (2020.7.13)
研究は派手ですが、地味です。この言わんとするところは、刈り取った成果とそれを得るための革新技術は派手だが、成果に至るまでが地味だということです。派手さは長続きしません。遠い将来を見据えて、コツコツと地味な作業を続ける辛抱強さが求められます。
では将来何にでもなれる皆さんに私は何を求めるでしょうか。ただひたすら耐えなさい、がその答えであれば誰もついてこないでしょう。研究は楽しい、という研究者の多くが心に秘めている想いを皆さんが共有することを求めます。それが共有できない場合は、研究は楽しくないわけですから、もっと別のことに時間を費やすべきです。他の研究室にうつる、研究分野をかえる、研究しない、いくらでも選択肢があります。
研究が楽しいか楽しくないかを知るにはどうすればよいか。行動についての答えは一つで、実際にやってみることです。やってみて、自分が楽しんでいるかどうか。これを調べるのです。実際にやってみると、上手く行かないことばかりです。分かっていないことばかりです。曖昧なことばかりです。研究者の多くは、この曖昧なところ、不思議なところ、意味不明なところに面白さを見いだしています。「そうだったのか」と分かる瞬間。確信する瞬間。これが楽しいのです。皆さんは勉強が得意でしょうから、教科書や論文から新しいことを知るでしょう。これを楽しいとは言いません。自分が組み立てた実験系から答えを出すとき、体を使って答えが出たときが楽しいのです。
体を使ってみることを勧めました。研究が楽しいかどうかでもう一つ大事なことは、真実に触れているかどうかです。不思議なもので、キャリアの長短に拘わらず、研究者は日々研究に続けていると必ず真実に触れます。ここがポイントで、まだ触れている段階です。これをぐっと掴む。スッポンのように放さない。そして引き釣り出して全容を明らかにするのです。ここまでやれたら最高です。そんな経験が若いときからやれたら凄いことです。そして、そんな凄いことが若いときからもやれるんだということを亡くなった吉田君が体現しました。
何が真実かわからないでしょう。その時のヒントは、扱っている対象が美しいかどうかです。美しさは真実です。この研究室において、私は美しい形を重視します。高田さんは美しい時系列データを重視します。美しい、楽しいに共感できる方と一緒に研究をやりたいです。これまではこの行動原理で上手く行ってきました。今後もこの行動原理は変えません。
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- 精神医学に興味のある学生、若手医師の皆様へ(2012)
本研究室の使命に、人材の発掘と育成があります。リサーチマインドのある精神科医を、精神医学の現場を知る基礎研究者をそれぞれ発掘し、10年後、20年後のリーダーを育てます。これは私たちの理念です。正直なところ、当事者である皆さんには押しつけがましいことですよね。
皆さんは、精神医学研究は楽しいのか、研究は自分に向いているのか、研究職に就けるのか、研究職で生計を立てられるか、といったことが一番気になるところでしょう。最終的には皆さん自身で人生を切り拓いていくしかありませんが、その判断、決断の前に色々と経験したいというのが本音でしょう。
是非この研究室で色々と経験して下さい。特に美しいものに触れて下さい。美しさは真実であり、美しさは感動の源泉です。私たちとの経験の中で美しいものに出会えなければ、このラボは向いていないと思います。まだまだやり直しがきく年齢ですから大丈夫です。
ラボの経験だけでは不十分でしょうから、一流の研究者を多く紹介します。その方々との交流から人生について様々な角度から考えて下さい。きっと役に立ちます。
技術面については、難しいことを考える必要はありません。私自身、30才になって初めて大腸菌を扱いました。こんなにも遅いスタートですが、それでも何とかこの10年間生き残ってきました。今の皆さんに大事なことは、技術にたじろくことなく、とりあえず始めてみることです。
一緒に感動しましょう。
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